明日世界が終わるとしても・・・・・・

毒とエログロナンセンスと妄想と  きっと何の役にも立ちません

泣き言

普段無意識で行っている動作のあれこれが、いちいち意識してやらなくてはならない状況になった時のひどく憂鬱な気分を、自分以外の無意識でいられる人に理解を求めようとは思わないし、 同情されたいわけでもなく、ただそれまで無意識で行えてていた事さえ忘れてしまうと言うか、夢でも見ていたのかと思うぐらいいちいち意識して行う動作が日常と化すと、心はすさまじく荒んでざらついて投げやりになり、もし散弾銃が手元にあれば乱射するか、自分に向けるか気がつけば考えている

 

要するに足が痛い

・・・

どれもこれもなんか辛気臭かった春のドラマみたいに、ってかそれほどエンターテイメント的であるわけもない、ただ足が痛いと言う泣き言なわけで、いつもにも増して誰の得になるわけでもなく辛気臭い話だけれど、いつかすっかりよくなってそんな事もあったと笑いたくて、でもそんなすっかりよくなるなんて考えられないぐらいもう長いこと痛みは去らない。

去年ヘルニアになった時、右足が爆裂神経痛で歩くのが辛かった

杖をついて何メートルか歩くと足の長さと同等のムチで高速で打たれているかのような痛みに立っていられずにしゃがみ込んで、激痛が過ぎるのを待ち立ち上がりまた少し歩いては痛みに襲われその場に座り込む繰り返しだったけれど、

その痛みが薄れていってやっと普通に歩けるようになって、 歩くのも走るのも支障はないほどになってから、

ぼちぼちと開始したジョギングのせいかひざの内側を傷めて鵞足炎と言われたけどもそれだけじゃないふくらはぎや太もものハリとか痛みが続いていて無意識にはしゃがめない(泣)冷蔵庫の下段にある冷凍ケースに物を入れると言う何気なさ過ぎる動作が、真冬の早朝の滝行と同クラスの苦行のようにって、滝に打たれた事はないから想像しただけだけど、今からしゃがむ痛いに決まってるけど誰がなんと言ってもしゃがむと、強く意識してどうにかしゃがんでも、今度は痛みで無意識には立ち上がれず、筋肉への負荷と痛みを想像してようやくしゃがんだ時と同様にもれなくついてくる痛みを想像すると心折れ、しかし冷凍庫の前でずっとしゃがんだままではいられないので、またもやの痛さをこらえて立ち上がる・・・もしかしてマゾ的嗜好であれば、こう言う自発的継続的な痛みにも興奮して多幸感を得られるのどうか知らないけども、もし誰かこの状態を代わりに引き受けてくれるならいくら払えるか考えてみても面白くもおかしくもない思考は少しも冴えない。

 

 

「しゃがんだら立てない」で検索してヒットした知恵袋の回答では、しゃがんで立つために使う筋肉の名前がいくつも挙げられていて、ヘルニア以降どれもこれもが弱化しているように思える、いわゆるマッスルウィークネス、そしてマッスルだけじゃなくメンタルも相当に弱化している

 

病気を苦にして、と言うのは

どんな病であれそうなってみて初めてその不便や不都合に直面するわけで、

そうならない限り貧乏でもバカでも不細工でもそれなりに気楽にアホ丸出しでヘラヘラと生きていた自分にこんな日が来るなんて思いもせずに。

だけどどこの誰が降りかかるあらゆる災いを予知予測し万全に備えて生きていると言うのか、備えも限度があるし、怪我も病気も事故も天災も突然の不都合は見ないように考えないようにして、大体は誰だってみんな似たような平穏を「当然」と思って生きているに決まっている

うんたぶん。

 

言ってみたら、しゃがむ事と立ちあがる事の不便以外、走れるし、ヘルニアの激痛と歩行困難で七転八倒したあの地獄のような日々に比べたら、蚊にさされたようなもんかも知れないけども咄嗟の動きが制限されると有事の際に動ける時間が遅くなる→たとえば野球のキャッチャーにはなれないし、ターゲットを追う時気づかれないように咄嗟にしゃがんでやり過ごそうとすればギクシャクしすぎて探偵にはなれない、子供相手の目線でしゃがむ動作が多い保育士もマジ無理・・・

それから、出先で和式便器も使えないな

・・・・・別に転職の予定なんかないし、今時トイレが和式ってとこはそんなにないんじゃないかと言う楽観、まあそれでももしもの時は死ぬ気でチャレンジするんだろうけど。

 

そんなこんなでテンションもずっと低いまま、

ヤフーの無料映画 「ゲノムハザード ある天才科学者の5日間」ってヤツを見た

 

 

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・・・・・面白さがまったくわからなかったのは、足が痛いせいか頭が悪いせいかどっちもかも知れないけど仕方ないから、西島秀俊のプロモーションビデオだったんだ と思う事にした

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