幸福の定義
右足の内転筋を 最初に傷めたのはいつか・・・
はっきり覚えていないけれど、あまり調子がよくないまま二、三年くらいほぼ毎日続けていたランニングを休止しなければならなくなって、半年あまり・・・
大して熱心でもなく、活躍できる成績でもなかった中学高校の陸上部での活動を思い出して、とりあえずダイエット目的の日課として走り始めて、そして
元々脆さのある 腰 も 膝も そして 足も かなりよくない状態になってしまってのリタイヤイヤー2013
普通の生活に何ら支障はないけれど、走る事に頑張れない自分がもどかしくて、ペースを落としてでもまた始めるべきかどうか 休むことになった当初は思案していた
合気道の 偉い先生が
「病 と 対峙せず 病 と ともに生きる 」のが 正しい病との接し方である と言っていて
その 言葉を じたばたするな・・・と、言う事だと解釈して 思案は いつしか蚊帳の外
釈 由美子は ホットヨガかなんかで鍛えて 見事にひきしまったウエストだけど
足が短いのはどうしようもなくて気の毒・・・・・などと、
自分の体の肉々しさは棚にあげて
走って痛くなるのはイヤだ →だから走れない→ストレスがたまる→ケーキバイキングや焼肉食べ放題などに誘われて断らず出かける→ 自分を甘やかすの無限ループ
人は幸福に生きるべき
「 幸福 」とは 「 死に臨んで 悔いのない状態 」
幸福な人 とは
「 快楽 」とは、いつか終わるものだと知っていて、だからこそ終わりまでのすべての瞬間をていねいに生きる人の事
そんなようなことを何かの本で読んだ
もしまた 自分を律しようとするモチベーションが戻ってきて、そろりそろりと走り出せる日が来たとしても
いずれは自分のランニング人生の終わりの日がくる
今日が最後の日かも知れない・・・と、毎回 そう思いながら走れるかどうか
ここ何年も、年始の目標は 毎日毎日の目標は
「 生きる 」
「 死なない 」と、言い換えてもいいかも知れないけれど
年末、ぼんやりしていて危うく車にひかれそうになって 「 死なない 」ことのハードルの意外な高さにびっくりしている場合じゃないな
定義・・・・・とか 言ったけど 雑念 まさに とりとめもなく