明日世界が終わるとしても・・・・・・

毒とエログロナンセンスと妄想と  きっと何の役にも立ちません

ラッスンゴレライって何ですのん??

いやほんま何ですのん?? とか言うてる場合じゃなく、めっちゃ売れているらしい若手芸人8.6秒バズーカ

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で、まぁ目にする機会も多いけども、そのたびに、ふーーーん、どこが面白いんやろか????と思っていたりするわけで、そう思いながら完コピしたオリラジの動画を見たり、コピーも何もあったもんじゃないぐだぐだな千鳥のを見たりしてそっちはそっちで感動したり笑えたり、けどついこの間までダメよ~ダメダメと言っていた小学生までもが、通学路でラッスンゴレライの大合唱って影響力半端なさすぎる

8.6秒バズーカで勝手に連想した、9ミリパラベラムバレット

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・・・・カッコいいらしいです。よく知らないけど。ファンの人すみません。

 

売れてるとか流行ってるらしくて全然解せないなんですのん??つながりで言うと他にニット帽、先っちょのとんがったヤツ

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 見るたびにコンドームみたいで嫌だと思うのは私だけか・・・

もっと何て言うかへなへなっと意味なくふにゃっとした先端のニット帽とかが更に嫌

靴のつま先がとんがってるのも、ミッキーの足みたいなのも好きなのに、って関係ないか

ほんま、なんですのん??なんですのん??と悪い頭で考えてもわからない事はさっぱりわからないし、見かけるたびにあれはないわー、ないない、全然ないわーと何様のつもりでもないけど不機嫌になる

 

この間もうすっかり収束したもんだとばかり思っていたはてなの痴情のもつれ案件エントリーを目にして、まだモメてたのかとちょっとびっくりした

どっちもどっちだと思うけど、微に入り細に入り語られた内容が作り話じゃないなら言わずもがなの話を公に曝して何を得たかったのか、沈黙を守っていた方も反撃して今さらその時の内容を面白おかしく語るのはどちらもルールもモラルもへったくれもなく夫婦でもないのに離婚問題が泥沼化してしまうみたいな、でもよそのうちのもめごとは面白い、そう思った部外者の一人として自分も同レベルの同罪なのかも知れないけども

遠巻きで面白がる事が失礼なのか非常識なのか、曖昧に言及する事が間違ってるのか別にいいのか、自分のしてる事が正しいかどうか確かめながら歩いてるつもりだけど答えが見えない事は多くて、間違ってたとしても指摘されるまで気づかず愚鈍なまま恥をかかないようにと気をつけている努力さえもたぶんもう安定した低レベル・・自分で自分にご愁傷様と言うしかない

その案件に着目した最大のポイントは、言わないけどなー、そんなこと普通は、ってとこだけで、何か腑に落ちなかった事が 小田嶋隆のコラムの中の一部分を当てはめたら丁度いいのかなと思った

他人の勇気は「自己責任」:日経ビジネスオンライン

「本音」は、ごく例外的に、ごく限られたごく親しい人間同士の間で、ひそかに交換され、非公式な形であくまでもノイズとして処理されていた。

 それら、深夜のスナックや、放課後の教室や、部室の暗がりでやりとりされていた「本音」は、禁じられているからこそ笑いを生み、許されていないからこそ親しい仲間をつなぐ絆になってもいたわけで、つまるところ、「本音」は、陰の存在だった。

ところが、ネット社会の出現によって、そうした露悪的で扇情的な「本音」が万人に向けて公開される場が確保されてみると、それらの膨大な量の「本音」は、「これまでおもてだって語られていなかっただけで、本当は誰もが心のうちにあたためていた言葉」であることを認められ、匿名のネット市民の間の共有財産として、無視できない影響力を発揮するようになる。

 

 

 主旨はもちろん違う内容について書かれているし、

『本当は誰もが心のうちにあたためていた言葉」であること』ではないにせよ、本来陰に隠れて見えなかったはずの状況や内情の暴露合戦が公開されることになった流れを当てはめればそれが露悪的で扇情的だったからつい食いついたわけか、なるほどなるほどなるほどと思い、そしてその本音について自分以外の多くの人も関心を示し、キラキラとまぶしいような、毒々しいような様々なコメントの海、その片隅で小田嶋隆を勝手に引っ張り出して私もブツブツ言ってみたけども、何言うてますのん??なんですのん??と言う感じで、自分がいかにも珍しい事を思いついたと思っても、ほぼほぼほぼ他の誰かがもっとキャッチーで、もっともっと面白くもっともっともっと洗練された形ですでに発信してるわけで、せいぜいひやかし客ってか、サポーターであってもクリエーターじゃない事を今頃、今さらながらに自覚する