救世主 と 羞恥心
今日から 三月
今から考えたら何にイラついていたのか、
激しく嫌悪し、底なく蔑み、すべてにあきれながら苛立っていた日々を思い出す
何もかもと言うわけではないけれど、そんなことさえどうでもよくなるような、もっと別のもっと慎重に考えるべき問題が沸き起これば
死ぬの生きるのとは関係ない その頃感じていた苛立ちは いつしかどこかに追いやられ影をなくす
新たな問題は、慎重に考慮すべきではあるけれど それはたぶん建設的に考えて結果を出せるコトで考えるのはひどく疲れるけれど、一方で楽しみでもある
人生において、いつだってなんだって取捨選択はついてまわり、そのたびごとに岐路で立ち止まり悩み迷う
今 あるモノを手に入れるかどうするか迷っている
もし、手に入れるとすれば
そのためにかかる物的、金銭的、人的、社会的なあれやこれやを無視するわけにはいかず、
だからこそ余計に、考えがまとまらず遁走してしまいたい
迷う自分が許せないのは、何事も最速でこなしたい性分だからだけど、
選ばなかった道に行っていたら・・・・・と言うのは単なる繰言だし
選んだ道が正しかったかどうかはわからない
そんな風な事をぼんやり考えていて、以前苛立っていた理由に 思い当たった
何かを欲しがること 欲望 と言うのは 本来とても恥ずかしいことなのだと
排泄もセックスも、そしてモノを口にすること、何かを欲しいと思うことも
その他根源的な欲求であろうがなかろうが、 いかなる欲も羞恥から切り離す事はできない
恥多き人生、と言いながら食べることも寝ることも欲しがることも、当たり前すぎて
その恥ずかしさを忘れないと生きていけないから
元来の鳥頭、賢いチンパンジーにも劣る脳みそだというのも関係して、恥知らずにもたくさんのものを欲しがってきた
そのことをすっかり棚に上げ、ある特定の他人の欲望 何かを欲しがっていたり、手に入れて喜んでいたり、と言うこと、
その欲望にわずかの羞恥も感じられないことに、勝手に辟易して、勝手に嫌悪の感情を抱いていたんだと思う
子供時代は、親から与えられるものしか手にできないことをわかっていて
自分の好みとはかけ離れたモノしかまわりになくても 欲しいと思わなかった
口にしたところで絶対権力者としてそこにいる親に敵わないことを知っていたから
長じて、働き出して 選択できるモノに限りはあれど すべて自分で何かを選べる事が当然となって 欲望の入っていた箱のふたは開きっぱなしになり、だだもれになった
欲望のすべてを絶って生きることは不可能
欲望をすべて捨てるのは、生きない と言うことを意味する
だから、食欲でも性欲でも物欲でも そこにある事、個々が持っている事は当然で
それをいいとか悪いとか言う権利などないのはわかってるし、自分もじゃんじゃん垂れ流していたことを反省したところで何が変わるわけもないだろうと言って
ほったらかすのはフェアじゃないから、戒めにしようと思うけれど、
あくまで自分ルールでの ほほえましいと思える領域をはるかに越えた
他人が主張する 欲望やあさましさ それらに感じたやりきれなさに遭遇すれば その時もそうだったし たぶんこれからも恥ずかしいと思い続けるのだろうと
・・・・・そういうことを、気づくに当たって、天啓のように出会ったモノがあって
もうダメだと思うことは、今まで何度でもあった・・・・・と
ヒロトの歌声を思い出す
心迷う日々に どうすればいいのか、もうダメかもと思う時、
ほんとに救われた と実感するような そういう経験をするたびに、
絶対に何か見えない力 運 と 勘 と 縁 に導かれ守られているのだ と 確信する
モンスターはいたるところに確かにいる
けれど 天使もいる