明日世界が終わるとしても・・・・・・

毒とエログロナンセンスと妄想と  きっと何の役にも立ちません

戦い続けろ かしこくなるな

もうすでに古くなった話

デモに集う人たちのニュースを見ていた

安保法案についてはサルなりに思う事はあるし、反対するその主張や怒りはわからなくはないけれど、群衆の示威行為は丸ごと全部共感できずにいて、って言うか何をどう受け入れられずにいるのか考えていたけれど、一番の違和感は「戦争反対!」「戦争反対!!」「憲法守れ!」「憲法守れっ!!」と叫ばれるシュプレヒコールがまるで下手なラップみたいに聞こえて、各所に大勢で集う事で高まる熱に浮かされてイエーイとか言って踊り出しそうに見えたりインタビューに答える人の顔は不安に曇るよりも何かに酔って誇らしげに見えた

 

まさか踊り出すとかそんなわけはないのに、何でもかんでもコントみたいだと思ってしまうのは、悪いクセなのかも知れないけど、テレビに映ればどんなことも作り事のように思えて、増してラップに聞こえるセリフでは参加しないデモの意味も真剣味は薄れほぼほぼ他人事、自分とは関係ない事になってしまう

 

心の中で反対とつぶやこうが叫ぼうがどこにも届かないのは承知の上だし、無意味だとしても、シュプレヒコール的な事が気恥ずかしい

先導、もしくは扇動者に続くのが嫌だ 集団行動はできないわけじゃない、でもやりたくないからやらずに済むように、憤れば反対でも賛成でも一人で勝手に思うように思って憤っていると言う性分

たとえば誰かや何かを好きだと言う気持ちも、大っぴらに表現する事が正しくて清々しくていい事だとは思えないので、好きなものの半分くらいは密かに好きで、勝手に好きで、誰のせいでもない自己責任で好きだと思っているような・・・前に知り合いになんかそんな風な事を言ったら、何それ??意味わからん、面倒くさいヤツと言われたけど、誰でも他人からの好意が無条件にうれしいかと言えばそんなことはないはずで、自分なんて好かれるはずない、と言う出発点のマイナス設定が卑屈と言われようとも、なんとしてもモテたいとか、愛されたいとか、好かれたいなんて、必死になれる要素もとりえもないクセに自虐ではなく客観的にどのツラ下げてと言いたくなる過剰な欲望がもれだして浅ましいよりはいくらかはマシじゃなかろうか

デモもボランティアにも参加せず、誰かの役に立つ生き方は出来なくても、誰かの邪魔をせず一人で歌ったり踊ったり一人でできる事はなるべく一人でやって機嫌よく生きていたい

 

・・・・・九月はとにかくもやもやしていて、思考はいつもにも増して乱雑で、いくつか書いた下書きをやっと整理しようかと思ったらもう10月は10日も過ぎている

「夜間工事」とネオンが光る車が三日くらい前からマンションの下の道路に停まっていて、不規則な金属音が聞こえる夜

映画を観るなら何がいいか、何がいいと言ったってパソコンで観られる無料映画の中から何か選ぶだけだから観たいものが観られるわけじゃなく、ひまつぶしだから何でもありと思ったら大森南朋の「東京プレイボーイクラブ」があったので、これはちょっとうれしくて画面の中で淡々と荒くれる大森南朋を凝視し続けた

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大体自分以外の大勢がどれだけ福山雅治ファンだったのか、何が「最後の砦」だったのか知らないけど、福山雅治の結婚で「ましゃロス」なんて言葉もその意味も気持ち悪くて、結婚の一報で会社を早退したとか休んだとか、そんなのがマジならば平和過ぎてバカ過ぎて殴るか蹴るかしていいなら間違いなく手を出していると思ったのは、今までこれっぽっちも福山雅治をいいなと思った事がないからで、ニュース以後会う人ごとに、ショックよね?みたいな事を言われるたびにうんざりしていた

誰のファンかと言えば大森南朋だし、新井浩文だし、小市慢太郎なので、一緒にすんなよと思いながら、語り合うのも面倒で、ショックだったとも、そうじゃないとも言及せずに曖昧に濁して相手のつまらなさそうな顔を何度か見るはめになったけども

 

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もやもやしていた九月、そしてまだどんよりしながらも予定をこなさなければ生きてはいけない

そして そうやってどうにか生きていると言うことだけで胸がいっぱいになる